元々アヤソフィアは東ローマ帝国最高の教会で、1054年まさにこの教会でキリスト教が東西に分裂してから、長くギリシア正教の総本山「コンスタンティノポリス総主教座」がある場所だった。代々の東ローマ皇帝の霊廟でもある。ちなみにギリシア語ではハギア・ソフィア、日本の世界史の教科書では聖ソフィア大聖堂という名前で登場する。意味は「聖なる叡智」で、実は東ローマ領に同じ名前の教会はたくさんあるらしい。上智大学の英名「ソフィア」と同じだ。
東ローマ帝国を滅ぼしたオスマン・トルコ支配下においてはメフメト2世にモスクに改修され、ミフラーブ(メッカの方角を示すくぼみ)と4本のミナレット(尖塔)が建設されたが、基本的にローマ時代から構造は変わっていないらしい。ちなみにミナレットは別々のスルタンに作られたため、形がバラバラ。

△ミフラーブ。こっちがメッカだよという印
今のアヤソフィアは537年に作られた姿を踏襲しているが、360年にコンスタンティヌス2世が最初の聖堂を建ててから何度も何度も崩れては建て直して……を繰り返している。トルコは地震が多いため、建物がすぐ崩れるのだ。現に、2009年12月現在まだまだ修復工事中なのだ。

△近づいてみた
イスタンブールは、その鉄壁の防御力を評価されてこれまでに多くの王朝の中心都市として栄えた由緒ある街だ。約1000年にも及ぶ宗教都市東ローマ帝国の中心となったのが、このアヤソフィアなのだ。
イスタンブールの歴史をざっと眺めてみると……
○紀元前7世紀〜古代ギリシャ時代:
現在のトプカプ宮殿のあたりに、ギリシャ人の植民都市ビザンティオンとして栄える。
○330〜395 古代ローマ時代:
キリスト教を公認したローマ皇帝コンスタンティヌス1世が330年この地に遷都。皇帝の名にちなんでコンスタンティノープルと名付けられる。
○395〜1453 東ローマ帝国時代:
395年のローマの東西分裂後も、引き続き東ローマ帝国の首都として栄える。西ローマは5世紀に滅亡したが、東ローマはその後1000年続いた。ちなみに後世になってビザンツ(ビザンティン)帝国とも呼ばれるが、当時の人々は西も東もなく昔から連なるローマ帝国という認識だったらしい。
○1204〜1261 ラテン帝国
悪名高い第4回十字軍によって、1000年近く難攻不落だったコンスタンティノープルが攻略される。その後、ニカイア帝国(東ローマの亡命政権)に奪還される。
○1453〜1923 オスマン帝国時代:
1453年の東ローマ滅亡後、オスマン帝国の首都として栄える(イスタンブールとは呼んでいなかったらしい)
○1923〜トルコ共和国(現代):
イスタンブールと改名。首都アンカラを上回る、文化・経済の中心地として栄え今に至る
いかにこの町が長きにわたって繁栄を続けてきたかがよく分かると思う。日本で言えば弥生時代からずっと政治・文化の中心だったのだ。
さて、中に入ってみよう。現役のモスクであるブルーモスクと違ってアヤソフィアはモスクとしてはもう使っていないので、遺跡というか博物館的な扱いになっている。入場料は20TLとかなり高い。

△わかりにくい写真だが…工事中
アヤソフィアの中はここ数年間ずっと工事中で、角に2つの巨大なマーブルの壺が配置されている。ベルガマから持ってきた、清めの水を入れておく壺らしい。

△巨大な大理石の壺。
ちょっと面白いのは「マリアの手形」。何でも、中央の穴に親指を突っ込んで、残りの指を放さずに手のひらを一回転させることが出来たら願いが叶うんだとか。

△マリアの手形
こういうのはどこの国にもあるんだなぁ。ちなみにセルチュクのところでも書いたが、マリアはヨハネと一緒にトルコに来たと言われている。
マリアの手形の壁の階段を上がると上のフロアに出られる。こういう構造は意外と珍しい。

△モザイク画
ここにはギリシャ正教の名物とも言うべきモザイク画のイコンが残っている。オスマン帝国時代に漆喰で塗りつぶされていたものを、後からはがしたようだ。