2013年04月25日

フィレンツェ1−2 トリッパ【イタリア旅行記】

まずは昼食へ向かう。
ホテルはサンタ・トリニタ橋の近くにあり、橋を渡ったところに有名なトリッパのお店があるらしいので、行ってみることにした。

お店の名前は、トリッペリア・イル・マガッツィーノ。

ピッツァのお店はピッツェリア、ジェラートのお店はジェラッテリア。トリッペリアというからにはトリッパのお店に違いない。
まぁカフェテリアはカフェのお店とは限らないが。

トリッパというのは、フィレンツェ名物のモツ煮のことだ。
他にもランプレドットというのもあり、いずれも牛の胃を使う。
焼肉で言えば、トリッパはハチノス、ランプレドットはギアラにあたる部分だ。

味付けはそれぞれトマト味と塩味なので、両方食べても印象がかなり違う。
というわけで看板メニューの二品を注文。

RIMG0414.jpg
▲トリッパ

RIMG0413.jpg
▲ランプレドット

どちらかというとランプレドットの方があっさりして食べやすかった。
内臓料理もうまかったが、やっぱりモツは味噌煮の方が好きだなぁ。

それはそれとして、毎食のようにパスタを注文する嫁がやっぱり頼んだパスタがとても美味しかった。
RIMG0412.jpg
ピスタチオクリーム。濃厚だが、決してしつこくない絶品だ。

ところで、フィレンツェを中心としたトスカーナ地方の食べ物の特徴として、パンに塩味がついていない点が上げられる。

パンの塩味なんて普段意識しないものだが、実際に使われないと一口食べて「素朴な味」という印象。

実はバターも使われていないので、本当にシンプル。
これはこれであっさりしていて美味しい。
なんでも、昔ライバルだったピサの町と争っている中、塩を運ぶ航路を封鎖されたのがきっかけなんだとか。
posted by Magic at 02:52| Comment(0) | イタリア旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月22日

フィレンツェ1−1 メディチ家【イタリア旅行記】

今日はヴェネツィアを出て、第3の町フィレンツェへ向かう。

昨日一日ストライキで我々を悩ませたヴァポレットだが、今朝は何の問題もなく動いていた。
ホテルの前にある船着き場で、駅へ向かうヴァポレットを待つ。
船着き場至近という絶好のロケーションなのに、ほとんど生かせなかった。高い48時間チケットだったなぁ。

RIMG0391.jpg
▲運河の対岸には、通学途中の学生がぞろぞろと列をなしていた。

RIMG0392.jpg
▲ヴァポレットで駅へ

ヴェネツィア駅から鉄道に乗り込み、向かった先はフィレンツェ・SMN(サンタ・マリア・ノヴェッラ)駅。ヴェネツィア同様、フィレンツェのにもFirenze Rifredi という駅があるのだが、こっちは中心街から離れた場所にあるので注意が必要だ。

RIMG0399.jpg
▲さらばヴェネツィア

イタリア・トスカーナ州の中心、フィレンツェは、かつてトスカーナ大公国として栄えた。実質的な支配者はメディチ家。
その財力でダヴィンチやミケランジェロなど数多くの芸術家のパトロンとなった、ルネッサンスの立役者だ。

ここで、超がつくほどの華麗なる一族・メディチ家について簡単にまとめておこう。

medici.png

メディチ家の栄華は、14〜15世紀に当主ジョヴァンニが時代にローマ教皇とつながりを深めて、銀行業で大成功を収めたことに始まる。さらにその息子コジモは巧みな政治手腕でフィレンツェの事実的な支配者となり、ヨーロッパ有数の大富豪にまで成長させフィレンツェにおける「祖国の父」とまで呼ばれた。

コジモの孫「豪華王」ロレンツォが、メディチ家の最盛期といわれる。祖父譲りの政治力で、イタリア半島の各国に大きな影響力を発揮した。「ヴィーナスの誕生」で知られるボッティチェリや、「最後の審判」「ダヴィデ像」で知られるミケランジェロのパトロンにもなったが、彼にとってはそれも外交の手段に過ぎなかったようだ。反面、商人としての才覚は乏しかったのか、ここへ来てメディチ家の銀行はほぼ破綻状態という憂き目に遭う。

ロレンツォの次男ジョヴァンニは、父の後押しでわずか37歳にして教皇レオ10世として即位する。彼は「最年少にして最も不細工な教皇」と呼ばれたらしい。派手好きなレオ10世が芸術家ミケランジェロやラファエロを支援したことで、ルネッサンスは最盛期を迎えた。一方、サン・ピエトロ大聖堂の建設資金を稼ぐために贖宥状(いわゆる免罪符)を売り出したことが、最終的にルターの宗教改革を招くきっかけとなった。

続いてレオ10世の従弟ジュリオも、同様に教皇クレメンス7世として即位。一度は失策によってハプスブルク家の皇帝カール5世に国を追われるも、3年で和解。息子アレッサンドロをフィレンツェ大公とし、メディチ家を正式な君主に押し上げた。

しかしその後アレッサンドロは暗殺されてしまい、「祖国の父」コジモの直系は閉ざされる。しかし傍系の一族のコジモ1世として「トスカーナ大公」となり、以降メディチ家が断絶する18世紀まで徐々に力を衰えさせながらもフィレンツェを支配した。

というわけで、フィレンツェ観光はとにもかくにもメディチ家ありき。
最初は少しお勉強が必要だ。コジモとロレンツォがたくさん出てきて面倒だが。

RIMG0401.jpg
▲これに乗って移動

RIMG0402.jpg
▲駅名にもなっている、サンタ・マリア・ノヴェッラ教会

駅からタクシーに乗り、ホテル・ベルキエリへ向かう。
道が少し分かりにくく、石畳だったので最初はタクシーで正解だった。

RIMG0405.jpg
▲洗面所の内装がゴージャス
posted by Magic at 01:36| Comment(0) | イタリア旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年04月17日

ヴェネツィア2−6 ボンゴレ【イタリア旅行記】

ゴンドラを下りて町を歩いていると、ストライキのはずのヴァポレット乗り場になぜか人が集まっている。

不思議に思って近づいてみると……

なんとヴァポレットが動いているではないか!

嬉しくなったので、行き先も確かめずにとりあえず乗ってみることにした。
ヴァポレットはグラン・カナルを進み、いくつかの船着き場を通過して一気に中央駅サンタルチアの前までたどり着いた。

が、ガイドブックとにらめっこしていたら降り損ねてしまい、さらに次の船着き場まで運ばれてしまう。

そこはローマ広場。バスターミナルだった。

ヴェネツィアで自動車を見たのは初めてだ。我々のように鉄道で町に入る場合はサンタルチア駅がヴェネツィアの玄関口だが、車で来る人にとってはこのローマ広場がヴェネツィアの入り口になるらしい。

ローマ広場とサンタルチアの間には大運河グラン・カナルが走っていて、これまでヴェネツィアで渡ってきた橋とは一風変わった近代的な橋が架かっている。

RIMG0377.jpg

これがグラン・カナル4番目の橋、カラトラーヴァ橋。正式名は憲法の橋(ポンテ・コスティトゥツィオナーレ)という。

ヴェネツィアの人々には、建設費と期間がやたらかかったとか、デザインがモダン過ぎてヴェネツィアらしくないなど、色々と不評なんだとか。しかし間違ってローマ広場に来てしまった我々にとって、大運河を渡す橋は大変ありがたい。

橋を渡ったら無印良品があった。やるなぁ。

RIMG0380.jpg

というわけで、駅にはすぐ戻れたのだが、やっぱりヴァポレットのストライキは続いていて、さっきのは本当にたまたま動いていた路線だったようだ。
仕方なく、30分歩いてカ・ドーロ近くの晩飯を食べに行くことにした。

最初はアッラ・ヴェドヴァという店に入ろうとしたのだが、既に満席で、予約がないと3時間待ちらしいので諦める。
というわけで我々が入ったのは、プロメッスィ・スポーズィというトラットリア。

ヴェネツィアにしては早い時間だったが、既に席は埋まりかけ。
メニューは手書きで、どれも美味しそう。
とても気さくな店員のもてなしを受けながら、料理を注文する。

RIMG0383.jpg

イカスミパスタ 昨日のとは違って、こちらはイカスミを既にあえてある。美味しい。
ボンゴレ これも美味しい。

RIMG0384.jpg

レバーの炒め物

RIMG0385.jpg

味・接客ともに申し分なく、満足。オススメの店である。

帰り道、GROMがあったので、ジェラートを食べることにした。

RIMG0388.jpg

新宿の丸井なんかにも入っているジェラテリアなのだが、美味しいけど小さいので490円と少々お高い。
こちらでは半額ぐらいで食べられる。

それにしてもヴェネツィア、ヴァポレットが使えないと本当によく歩かされる。

RIMG0389.jpg

実は腰痛がぶり返して相当辛かったのだが、ヘイ!タクシー!というわけにはいかないのがヴェネツィアの辛いところである。

へろへろになりながら何とかホテルまでたどり着き、泥のように眠った。
posted by Magic at 00:38| Comment(0) | イタリア旅行記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。